大石天狗堂完成

 つげ義春による名作マンガ「ねじ式」の映像化プロジェクトにおいて、この映画の背景美術を製作するよう仰せつかり、何名かの渋クラ(渋谷クラフトクラブ)会員とともに、すこし手伝っている。
 原作の最初から14コマ目に、壁に大きな天狗の面が描かれた部屋がでてくる。このシーンを拙作による背景でまかなうことになり、まずはミニチュアの白い壁(縮尺1/7)をつくって、そこに天狗の絵を描いた。(12/11日付け当欄に写真があります)。原作に準じたヘタな絵だが、粗野な迫力があり、なかなかよいと自分では思っていた。
 ところが
 「天狗はてっきり木板(きいた)のうえに描かれるものと思っていました。」
 という批判めいたご意見が身内からささやかれ、たじろいだ。あわてて原作画を見てみると、確かに壁は木板のようでもある。が、木板なら茶にしなけりゃならず、てーことは、白い壁の天狗はボツってことである。
 「ギャーーー!!!!」(泣)
 それから2〜3日ウジウジ泣いて過ごした。
 そして「ジャーーーン!」涙を拭いて立ち上がり、こんどは木板っぽい壁の上にもう一回天狗の絵を描いたぞーーーっ!!!!!
  (下の写真)
 ———本番では、画面の右はじに人形(ねじ君)が登場し
 「ほら、ぼくの顔は、だんだん蒼褪めていくではないですか」
 などと、しゃべるはずである。

最初に描いた白い壁の天狗絵もかなりよかったので、最終的にどっちを使うか非常に迷い、この映画の監督である才谷氏に問い合わせてみた。すると彼は「茶がよい」とおっしゃり、結局写真のような配色に落ち着いた。

入院してました。

 実は正月早々に入院し、さっき退院してきたところだ。どうせコロナじゃ来客もなさそうだからと、思い切って腰(脊椎)の手術をしてきた。
 わたしはむかしからずっと腰痛(椎間板ヘルニア&脊椎間狭窄症)に悩まされ、数年前には「どうか手術をしてください」と、手術件数日本一を誇る九段坂の病院へ駆け込み、検査入院までしたことがある。が、結局断られ、そのあと東大病院へ。しかし東大でも断られ、仕方なく近所の鍼治療やマッサージに通いながら耐えていた。わたしの場合は腰の骨全体が悪いので手術のしようがないということらしい。
 半分あきらめていたところ、去年ある方から東品川にある脊椎の専門病院を紹介され、行ってみるとここがなかなか良かった。その病院ではパックリとCutするのではなく、内視鏡方式での手術を得意とし、つまり背中に穴(内視穴)を開けて、そこに道具を突っ込んで施術してくれるという。
 「ここの箇所を少し広げれば痛みはだいぶん改善するとおもいますよ」と、医者は、わたしのレントゲン写真の、若干影になっている部分を指差しながら、自身たっぷりにおっしゃった。
 「じゃあそうしてください!」
 と、即答し、かなり狭窄(きょうさく)していた脊椎の内側をガリガリ削っていただき、神経細胞の通りをよくしてもらった。

約一週間の入院だった。そういえば去年の春、第1波が来襲したときにも、心臓の血管騒動で入院していた。年をとるとこんなことばっかりで情けない。傷口がまだ痛いです。

あけましておめでとうございます。

 コロナコロナで明け暮れた一年がおわり、また新しいコロナまみれの年がはじまった。このような新年には一体どんな年賀状をお出ししたらよいのか、ずいぶん考えたあげく、今年の絵柄のコンセプトは「ステイホームのおじいさん」とし(下の写真)、以下の文面を添えた。
 「去年はイヤな年でした。ステイホームにロックダウン、アベのマスクにソーシャルデイスタンス、等々、ヘンなカタカナ文字が横行し、うんざりでした。今年はそれらの災いが消えてなくなり、居酒屋が賑わい、街が外国人で溢れるような、そんな普通の年に戻れますよう、ただただ願うばかりです。2021年元旦。」
 以上が今年の、紙の年賀状だ。
 来年はぜひこう書き出したい。
「猛威を振るっていたコロナも年末にはすっかり消えてなくなり、ひさしぶりにご家族で、明るいお正月をお迎えのこととお慶び申し上げます‥」などと、ね。
 ——–本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

年賀状用に自動シャッターで撮ったフェイクピチャー(やらせの写真)です。
作業をするとき普通はマスクをしていません。

プライスリストを掲載しました

 最近当サイトに「プライスリスト」(値段表)というページを新設し、「Works Gallery」に掲載中の作品の値段を一覧表にまとめ、すべてのプライス表示いたしました。あとでぜひご覧になってください。
 「おおけっこう高いな〜」や「え!? 意外とこれ安いじゃん」など、各作品の値段を見ているだけで面白いこと請けあいです。気に入った作品には当然高プライスをつけていますので、わたしがどれを好んでいるかも一目瞭然です。
 実はこの値段リストは、当時のファンのみなさんからのご要望によって、確か2006年から2013年までのあいだ、当ホームページに、(といっても旧ホームページの時代でしたが)掲載されていました。しかし事情があって、いったんそれを削除してから7年。今年の10月に、念願だった作品ギャラリーのセクションをリニューアルしたことをきっかけにして、ふたたび掲載することにいたしました。(以前掲載した値段とは異なっているかもしれません。)
 質問があれば遠慮なくどうぞ。(なおPrice ListのタグはWorksセクションにおけるWorks Galleryの下にあります。)
 ところできょうはクリスマス。
 みなさんよいクリスマスを!!!!

上は3年前に近所の飲み屋で撮った写真です。おとといフェイスブックに投稿したところ、世界中から112件の祝福コメントと267件のいいねが寄せられました(12/25日午後6:00時点で)。

ねじ式の年末パーティー

 毎年いまごろになると、必ず一回、われわれのクラブ(渋谷クラフト倶楽部)の忘年会の写真をここに掲載してきたが、今年はコロナ禍のため残念ながら不開催となってしまった。その代わりといってはなんだが、先日阿佐ヶ谷で開催されたねじ式グループの年末パーティーの様子を紹介することにする。下がその写真だが、顔が写っている計12名のうち、その半数がうちのクラブの常連で占められているからだ。左から、ユウさん、山野会長(白マスク)、はが、ウエノ。以上の四人は正統派渋クラ会員だし、遠く右はじにいる才谷監督(黒シャツ)の隣には、おなじみの北原さんの顔が見える。そして北原さんの隣には手芝さんがいる。彼ら二人は渋クラ忘年会の常連だ。等々、うちのグループから計6名がこの場に馳せ参じている。他にはCGクリエーターや、カメラマンや、人形作家といったうちとはカンケーない方々がまん中あたりに固まっている。そして右から四人目、手芝さんの隣の方(白マスク)は、ねじ式の原作者であるつげ義春氏のご長男、柘植庄助氏である。
 呼ばれたからとはいうものの、四人以上の会食に参加してしまったことを、どうかお許しください。そして才谷さん、すっかりご馳走になりました。

バーティーは12月11日の夕刻、東京阿佐ヶ谷にある才谷監督の事務所で開催された。一番左のユウさんは、自宅の沼津からわざわざ車でやってきて、わたしを会場まで送迎してくれ、ノンアルコール飲料だけを摂取し、風のようにまた沼津へと帰って行った。

ただいま制作中!

 下は「大石天狗堂」の壁絵(未完成)である。映画「ねじ式」(原作つげ義春)の背景美術として、今週つくりはじめたばっかりの、ひさしぶりの新作だ。(縮尺1/7)。
 この映画へは、うちのグルーブから6名もの協力者が名のり出て現在汗をかいている。しかしわたしだけは汗をかかなくてもよいという約束になっていたので、安心していた。ところがある日の打ち合わせの際に、うちのクラブのU氏とY氏から「この壁のシーンだけは先生がやってくれませんか‥」と、ネチっとした目で促され、黙っていたら、どうもそんなことになってしまった。
 大石天狗堂とは寛政12年創業の京都のかるた屋でトレードマークは天狗の面だ。(強精剤とはなんの関係もない)。このかるた屋がつくる花札は、おもにバクチに使われるため、下のほうに20貫などと訳のわからない数字が書いてある。貫(カン)とは江戸時代には現金をあらわす単位として用いられ、20貫とは賭博場で使われる「20貫札(ふだ)」のことであろう。
 まだまだ完成にはいたらぬが、壁絵としてはどうにか及第点が採れたものと安心していた。そしたら沼津のU氏から「天狗絵はてっきり木板(きいた)の上に描いてあるものと思っていました」などと予期せぬツッコミがはいり、あせった。
 あわてて原作のマンガをよく見ると確かに木板のようでもある。だがここは室内の場面だ。ふつう室内に木板の壁はつくらない。
 面倒くさいのでつくり直す(描き直す)つもりはないのだが。


 マンガの原稿では天狗の帽子より上は絵が切れている。したがって映像になる場合、帽子より上は映らないはずだ。しかし、シネマスコープでの撮影なので、更に多くの、左右への広がりが必要となり、それらが今後の仕事となる。いつ終わるのかわからない。(なお、ねじ式に関しては、8/8、10/10、10/23、11/9日付けにも先行記事があります)。

トキワ荘贈呈式

 西暦2000年ごろ。
 「先生、ホームページをつくりましょうよ、ぼくがヤリますから‥」
 と、当時渋谷にあったわたしの工作教室で、茶色い髪のマッキー(生徒・日本人)からそう持ちかけられた。それから20年、マッキー氏によってつくられたわたしのホームページは、2019年の12月4日まで、ずっと彼がボランティアで管理運営してくれた。そのことの労に報いるため、今月の2日、最新の拙作トキワ荘一個(1/50)をプレゼントするために、代官山にあるマッキーのオフィスへと向かった。(ブツがデカいので愚生ひとりでは容易に運べず、当日はおじさん生徒一名にご同行をいただいた)。
 要件はあらかじめ伝えてあったので、贈呈式(?)自体は瞬時に終了。(下の写真)。このあと、ほんとうは「カンパーイ!」のセレモニーがあればよかったが、こちとらなにしろ車なので、早々に引き上げた。
 ——マッキーさん、長いことほんとうにありがとう!!!
(マッキーが去った去年の12月以降は、今度はテルミーという女性が当サイトの管理運営を、やはりボランティアでやってくれている)。

 右がマッキー氏。確か彼は1999年から2007年まで、われわれの工作教室に参加していた。本業は会社社長(音楽関係)だが、クラフト工作にかける執念はすさまじく、そのむかし「東屋」を見事完成させた実績がある。