「絶賛展示中 !」

 歳のせいか、このごろ仕事のペースが落ちてきて、今年は新作といえる作品がまったくなかった。そんな中、新作とはいえないが「午後の鹿骨(1/80)」というムズカシモノの作品が6月に完成し、そのまま「さかつう」さんへ持ち込んだ。その後でははじめて、一昨日さかつうへ出かけると、確かに「はがコーナー」の最下段の、棚の真ん中あたりにその作品が置いてあった。これは過去におなじものを3回作り、今回で4作目となる「非常にボロい工場作品」であるが、いままでの中では本作が一番出来がよいと思っている。
 さかつうとは東京巣鴨の「さかつうギャラリー」のことで、鉄道模型レイアウトの制作に使う材料や、一般的な工作素材などが豊富に揃っている。この店のキャッシュレジスターの下あたりに、ちょっとした、はが作品のコーナーがあって、小生作による小さな作品や、オイルステインの塗料や、黒染め液など、普段ぼくが教室で使っている材料がまとめてそこに置いてある。本日のお題である「午後の鹿骨」も現在絶賛展示中ですので、一度ぜひご覧になってください。
 さかつうギャラリー: https://sakatsu.jp

「午後の鹿骨(ししぼね)」。ししぼねとは東京の外れ、江戸川区に実在する地名です。

「ノエカフェ」

 写真はノエカフェのイッシキさん。
 2000年ごろ、渋谷パルコで「アートインボックス制作教室」を開催したことがあった。イッシキさんはそのときはじめてぼくの教室に参加した古くからの生徒で、そのあとも、つい最近まで教室に通い続けた生徒の中ではボス的存在の方である。
 彼女はドールハウス・コレクターとしても有名で、2008年ごろ「ノエカフェ」というカフェを練馬にオープンさせ、彼女が収集した膨大なコレクションを眺めながらお茶を飲むというその店が大繁盛した。しかしだんだんとコレクションの数が増えすぎてお茶を飲むスペースがなくなってしまい、現在ではカフェの機能をクローズし、ドールハウス・ミュージアムandワークショップ・スペースとしてのみ営業している。
 そのドールハウス・ミュージアム「ノエカフェ」へ、拙作「東家(あづまや)」が運ばれたということを、8/29日にここでお知らせした。しかしその後カフェへは行けずじまいで、作品はまだ見ていなかった。そこで体調も良くなった10月7日の午後、東家展示後はじめてノエカフェを訪れた。
 ずいぶん久しぶりの訪問だった。
 行くたびに収蔵品の展示方法が微妙に変わり、あちこちで作品の位置が入れ替わっている。小生の東家は2階の階段を昇った正面に置いてあり、いかにもノエカフェらしいアンティークなガラスケースにピッタリ収まっていたので、一瞬違った作品に見えた。
 ひと通り作品をチェックし終えてから彼女にスマホを向けると
 「顔がバサバサだから、写真、イヤなの‥」
 と、言いながらもポーズしてくれた。
 東家を含め拙作は4点展示中です。
 行ったことのない人はぜひ一度お出かけください。
 ノエカフェ: https://noecafe.wixsite.com/official

イッシキさんと東家(あづまや)

「初外出」

 9月10日ごろジオラマ界のレジェンド金子辰也氏からジオラマ作品展「カモメ」(9/21〜9/30)の案内状が届いた。届いた時点では体調がいまいちだったが、以前金子さんと会ったとき、必ず行くと約束した覚えがあり、まあ、最終日の30日までには、まともに歩けるようになるだろうと思っていた。
 で、結局、最終日の昼前に、どうにか会場に辿り着くことができた。
 これは術後はじめての外出で、ウェストにはコルセットを巻き、準備万端整えて家を出ると、途端にパラパラッと雨が来た。調べると台風の影響らしく、くじけそうになったが、かまわず山手線で原宿へと向かう。駅に着くと雨は止み、そこからはタクシーで会場へ。
 ギャラリーの扉を開けたのは午前11時過ぎだった。金子さんはまだ来ていないだろうと思っていたら、すでに彼は数名の客としゃべっていた。壁ぎわには(株)タミヤなどから贈られた祝花が10鉢ほど並び、さすが金子さんである。最終日だというのに会場はもう十分に賑わっていた。
 肝心の作品だが、海とカモメとボートをモチーフにした明るく爽やかな新作が10点ほど並んでいた。見ていて気持ちのいい、いかにも金子さんらしい作品ばかりであった。
 当日は、できるだけバイデン歩きにならぬよう十分に気をつけていたが、ギャラリーの入り口に洒落た階段があり、帰りにそこで少しよろけてしまった。
——残念 !

左が金子辰也さん

「ヒヤヒヤです」

 わたしが最初に工作教室の講師になったのは1997年の7月だった。当時渋谷パルコ・パートIIの8階にあった「パルコ毎日新聞カルチャーシティ」から講師のお声がかかり、それから27年、その時々で教室の場所は変わったものの、ほぼ毎週のように、必ずどこかで教室を開催してきた。
 それがこのたびの脊椎の手術のおかげで一ヶ月半もの長きにわたり教室を休んでしまった。コロナ禍の折にも単発的な不開催はあったが、こんなに長く休んだのは今回がはじめてだ。
 8月末に手術があって、9月6日に退院したが、その後は安静を常とされ、要は寝たきりの状態で過ごしているわけだが、一体いつになったら起き上がって通常通りの仕事ができるようになるのか、医者に聞いてもはっきり答えてくれない。若けりゃすぐに治るのだろうが、なにしろこっちは後期高齢者、一概には答えられないのだろうと理解した。
 しょうがないので出来るだけゴロゴロしているが、すると寝癖がついてしまい一日中眠い。とても工作などする気も起こらず、もう一ヶ月以上なにもやっていない。
 そんななか22日に久しぶりにブーランジェリーの教室があった。
 おかげさまで股関節の痛みは改善し、いつも通りなに食わぬ顔でことなきを得たが、うまくできるかどうか、当初は心配で心配で仕方がなかった。
 次は29日にまた教室がある。
 相変わらずヒヤヒヤの状態だ。

渋谷パルコ時代の生徒氏らと

「今度は股関節が‥」

 8月29日に受けた脊椎の手術のあと順調に回復していると前回書いた。ところがどういうわけか4〜5日前から急に左の股関節が猛烈に痛みだし、とうとうまったく歩けなくなってしまった。この現象が、受けた手術と関係があるのかないのか、きょう病院で診てもらったが、その因果関係について、医者にもよくわからないようだった。
 このため、ふつうにいけば9月下旬には手術の傷も癒えるだろうと、予定を組んでいた9月22日の「ブーランジェリー制作教室」が開催できるのかどうか、悩みに悩んだ。悩んだ末、やっぱり予定通り22日に開催する旨のメールをさっき参加者に宛てて打ったところである。これは、歩けないからって別段教室にはカンケーあるまいと開き直ったヤケクソの発想だ。
 というわけで、まずは3日後に迫った22日の教室をクリアーせねばならぬ。それまでに少しは歩けるようになっているのかどうか。

ブーランジェリー制作教室

「ひとりでトイレへ行けます」

 いくらか涼しくなってまいりました。
 前回の書き込みのあと、数名の読者から励ましのメールをいただきましたこと、御礼申しあげます。
 大変お騒がせしましたが、きょうで術後ちょうど2週間となります。
おかげさまで7日に退院し、いまは自宅で傷の回復を待っている状態です。ほぼ寝たきりですが、痛みはだいぶん和らぎましたので、確実に回復していると思われます。
 手術による傷の痛みが和らぐとともに、重くシコリのように元からあったガンコな脊椎の痛みも一緒に消えてしまったように感じられ、更なる今後の推移に期待しているところです。

 術後2週間で‥
 ①ひとりでトイレへ行くことができるようになりました。
 ②ひとりでシャワーを浴びることができるようになりました。
 ③ひとりで着替えができるようになりました。
 ④いいちこを毎日300ccばかり飲めるようになりました。
 ⑤寝転がってUチューブ(総裁選情報)ばっかり見ています。

 出来ることといえば、まだ上のようなものですが、次の1週間では、そろそろ工作関係の仕事ができるよう、少しずつそんなこともやってみるつもりです。
 (下の映像と本文は関係ありません)

「腰が痛ーい!」

 腰が痛くて痛くて、居ても立っても居られない。
 しょーがないので、先週近所の脊椎専門病院で腰の骨の手術を受けた。
 ぼくの場合は「椎間板ヘルニア」と「脊椎管狭窄症」の両方を同時に患っているらしく、且つ全体的に骨格(骨の形状)が悪いので、2017年に東大病院で手術を断られ、2021年の春、やっと品川の脊椎専門病院で一回目の手術を受けることができた。それから3年。これといった改善の効果が見られなかったので、仕方なく先月の29日、今度は田端の脊椎専門病院で再手術を受けることに。
 脊椎と脊椎のあいだにチタンの金属プレートを差し込んでそれらをボルトで止めるという荒治療で、オペに5時間を要した。
 もちろん全身麻酔だが、オペ終了後ただちに麻酔が切れる。
 ストレッチャーでわたしのからだがオペ室から自分の病室まで運ばれ、ドサっとベットに投げ出された瞬間
「ギャーッッ!」
 気狂いのように叫んだ。
 あんなに痛かったのは生まれて初めてのことでした。

貧乏性の自分の場合はひとり部屋だと広すぎて落ち着かず、今回はふたり部屋にしてみた。