「第7次メンバー」

 1月に当蘭で参加者を募集した「第7次ブーランジェリー制作教室」ですが、おかげさまで定員に達しましたので、応募のほうはスデに締め切らせていただきました。初回の講座は3月を予定しておりますが、もう少し近場になりましたらはっきりした日程を含めた詳しい情報を、改めてご連絡いたします。
 以下、新メンバーの8名です。

 スズキ・カツヤさん
 マガラ・トシアキさん
 ナカコ・ユキコさん
 ヒラタ・リエさん
 オウ・コクさん
 ミネギシ・ケイタさん
 サトウ・ジュンコさん
 ニシハシ・マキさん

「うわあ〜残念、わたしも参加したかったのに…」
 と、上の発表を見て、そうお悔やみの諸兄がひとりやふたりいらっしゃるかもしれません。そんな方々のために、近い将来第8次の教室も計画しているのですが、しかしまだ「募集」をかけるまでは至っておりません。募集の際には必ずまた当蘭でお知らせいたしますで、次回ぜひご参加ください。

ブーランジェリー制作教室

「ギャラリーの見物人」

 ハサミでチョキチョキ「チョキギャラリー」のKさんが、ふたりの女性クラフト作家を伴ってGallery ICHIYOHの見物に訪れた。
 訪れたのが11時のちょっと前で、それから小一時間見物したら昼になった。
 「このあと、昼メシでも行きますか ?」
 と、K氏に尋ねると「是非‥」とおっしゃったので、われわれは近所のイタメシ屋へと移動。そこで撮ったのが下の写真だ。(左列奥がNさん、その手前がTさん、右列奥がHagaで、その手前がKさん)。
 この翌日、このときのクラフト作家のNさんから丁寧な礼メールをいただいた。その一部を当人に無断で(m(._.)m)ここに掲載する。
 「———また、帰宅後は先生のホームページのブログも拝読させていただき、どんな小説を読むよりも楽しくて、あっという間に2年分ほど遡って読んでしまいました。———–」
 だって。
 ブログとはもちろんこのブログのことだろう。たまに作品を褒められることはあるが、ブログを褒められたのはこのときが生まれて初めて。お世辞とはいえ心臓がガタガタいうほど嬉しかった。いっそヤメてしまおうかと、ここ数年はそればっかり考ていたこのブログだが、こうして読むひとがいるのなら、もう少しつづけてみようと、気を持ち直すよすがとなった。
 Nさんありがとう!!!
 ちなみに彼女は、犬の衣服を専門に作っているクラフトウーマンで、そのレシピがちょくちょく雑誌などで取り上げられているそうだ。
 次回は家族と一緒に訪れたいとのこと。
 ——–お待ちしてまーす。
 https://ichiyoh-haga.com/private-gallery.html

「初仕事でした」

 今週はなんと言っても米新大統領の就任式でしたね。結局明け方の3時まで見ちゃいまして、そして次の日も、またおなじものを朝から見ちゃうという、すっかり無駄な時間を過ごしてしまった。
 こりゃあヤバイと、おととい「モンパルナスの灯」(1998年制作)というアートインボックス作品を倉庫から引っ張り出してきて、少しは仕事でもしようと、改めてじっくりと作品を眺め回した。(「モンパルナスの灯」とは、画面右側にファッションブティックがあって、画面左側の歩道にでかいバイクが一台置いてあるという作品だが、普段はあんまり展示しないので、見たことがない人が多いかもしれない。)
 要はこの作品、どうも気に入らないのだ。
 願わくばなんらかのリフォームをほどこして、多少なりともチャームアップできないものかと、年末からひそかに改造計画を練り、こうして実際に作品と対面してみたのだった。ここをこうしたらこうなる。こっちをこういじったらこうなる‥と、あらかじめ頭の中でイメージしてきたことを、実際の作品を目の前にして何回も反復してみた。
 で、結局どうなったのか?
 作品をぜんぶ粉々にぶっ壊してしまいました。
 ゴミの量としては90リットル入りのゴミ袋一個がパンパンに膨れあがるぐらいの量になりました。
 あーセーセーした。

バイクのうしろに映画のポスターが貼ってありますが、これは画家モジリアニの生涯を描いた1957年公開の「モンパルナスの灯」(主演:ジェラール・フィリップ)という小生お気に入りのフランス映画のポスターで、これだけは壁から引っ剥がして疎開させました。

「伊東屋さんありがとう!!!」

 銀座伊東屋の11階で展示中の「伊東屋作品」にカビが生え、店内部の床がカビで真っ白になっているのを発見!…と、去年ここに(7/7日付で)書いた。その日はインフォメーションデスクにそのことを告げ、ただちにカビを払うようお願いして帰った。が、後日、改めてその旨を手紙にしたため、今度は意匠部の担当者宛に送った。「カビは一度生えるとドンドン繁殖し、放っておくと作品全体にまで及ぶ恐れがあるので、出来るだけ早く取り払ってください‥」という内容だった。
 しかしこれに対する返事はなく、たまに銀座へ出かけた折には必ず伊東屋へも立ち寄り、引き続き作品をチェックするしかなかった。だが去年の夏から今日に至るまで、依然としてカビが消えることはなかった。
 そしたらである。
 つい先日、伊東屋さんから遅い年賀状が届き、ハガキの片隅に「昨年はご連絡をありがとうございました。今後は充分留意してまいります‥」とあり、見方によっては「カビを取り払いましたのでご安心ください」と言っているようにも感じた。
 で、さっそく、きのう見に行った。
 すると、カビはキレイサッパリ取り払われて、コンクリートっぽい床の表面が剥き出しになっていた。(写真)。
 ——-伊東屋さんありがとう!!!
 とうとうやってくれたのですね、とても嬉しいです。

写真奥の床に以前はビッシリと白いカビが生え、毛羽立っていたのだが、、、

「生徒募集・ブーランジェリー制作教室」

  現在ふたつの「ブーランジェリーの制作教室」を受け持っています。うちひとつのグループで制作中だった作品がそろそろ完成し、近日中に講座が終了してしまいそうな状況です。近い将来また新しいグループを立ち上げる予定ですので、本日は、新グループへの参加者の募集をいたします。
 募集人数は若干名(先着順)です。
 希望者ははが(ichiyoh@jcom.zaq.ne.jp)まで連絡をください。
 以下詳細です。

 会場: はがいちようの駒込スタジオ
 住所: 東京都北区中里3-23-22
 電話: 080-5497-3497
 制作課題: 「ブーランジェリー/B」縮尺12分の1
 開催日: 原則月一回、日曜日の午後に、随時開催
 開催時間: 午後1時30分〜午後5時
 参加料: 1回11,000円(消費税込)

 上記「はがいちようの駒込スタジオ」にはミニミュージアム「Gallery ICHIYOH」が併設しています。教室にご興味がおありの方はキャラリーの見物がてらお越しいただければ更に詳しく説明いたします。
 どうぞよろしく。

「ブーランジェリー/B」縮尺12分の1

「謹賀新年」

 みなさん、明けましておめでとうございます。
 毎年年末になると京都で暮らしている長男一家(長男と長男の嫁と孫2人)がやって来て、俄然わが家は賑やかになります。加えて元旦の昼ごろには都内に住んでいる長女も一歳の孫を連れて登場し、狭い家の中は爆発的大混雑に。
 ちなみに私には2歳年下の妹がおりまして、妹も亭主同伴で、まだ私のオヤジが生きていた時代からずっと、毎年元旦には必ず顔を出してくれます。
 するとわれわれ夫婦を含めて総勢10名となります。
 我が家にはいっぺんに10名もが会食できるスペースなどありませんので、急遽「Gallery ICHIYOH」の中央に会議テーブル2台を寄せて即席の宴会場をしつらえ、元旦の宴を開催いたしました。
 (下の写真)
 今年は特別な大事件の発生がなく比較的穏やかな年明けですね。
 ——みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 本年もどうぞよろしく。

 
写真左から: 妹のご主人、妹、私、長男の子供、私の家内、長男の子供、長男の嫁、長女の子供、長女、長男、です。

「Sさんのこと」

 毎年この時期になるとSさん(元生徒)が倒れた日のことを思い出す。
 そのころSさんは、休みになると常にボクのスタジオへやってきて作業をしていた。暮れも押し迫った2016年の12月29日も、この日彼は午前中からやってきて、当時自由が丘の教室で制作中だった「トキワ荘(1/50)」を一日中つくっていた。(いわゆる自習ってヤツである)。
 やがて午後6時になって
「そろそろ切り上げてメシでも行きますか‥」
 と、声をかけると、彼はうなずき、机の上をかたづけはじめた。だがすぐにその手を止めて無言で立ち上がり、スタジオから外へ出て行った。出て、数歩あるくと、建物とブロック塀に挟まれた幅60センチほどの小道の先にトイレがある。もちろん彼はそこへ向かったのだが、扉を閉めずに行ってしまい、12月の冷気がスースースタジオへ流れ込んできた。
 あたりはもう真っ暗だ。
 すぐに戻ると思い、扉をあけたまま帰りを待った。
 しかし10分経っても彼は戻ってこなかった。
 見にいこうかとも思ったが、それはご遠慮し、代わりに耳を澄ますと、かすかにオーイ、オーイと叫ぶ声が、闇の向こうから聞こえたような気がした。あわてて声の方向へ駆けつけると、彼はトイレのすぐ手前の、暗くて狭い地面の上に倒れていた。
 すぐに救急車を呼ぶと同時に、わたしは彼を明るい玄関のタタキの上へと引きずり出した。しかしまあ力の入っていない人間のなんと重たいことよ。
 やがて彼は救急車で東十条の病院へ運ばれ、脳溢血と診断された。
 それから8年‥。
 当初はまったく動かなかったSさんの体も懸命なるリハビリの甲斐あって、介護者を伴ってではあるが再びボクの教室へ顔を出してくれるまでに回復した。しかしこうしてまた年末を迎え、年の瀬も25日を過ぎると、どうしてもこの日のことを思い出す。

Sさん(当時50代)