「ひとりでトイレへ行けます」

 いくらか涼しくなってまいりました。
 前回の書き込みのあと、数名の読者から励ましのメールをいただきましたこと、御礼申しあげます。
 大変お騒がせしましたが、きょうで術後ちょうど2週間となります。
おかげさまで7日に退院し、いまは自宅で傷の回復を待っている状態です。ほぼ寝たきりですが、痛みはだいぶん和らぎましたので、確実に回復していると思われます。
 手術による傷の痛みが和らぐとともに、重くシコリのように元からあったガンコな脊椎の痛みも一緒に消えてしまったように感じられ、更なる今後の推移に期待しているところです。

 術後2週間で‥
 ①ひとりでトイレへ行くことができるようになりました。
 ②ひとりでシャワーを浴びることができるようになりました。
 ③ひとりで着替えができるようになりました。
 ④いいちこを毎日300ccばかり飲めるようになりました。
 ⑤寝転がってUチューブ(総裁選情報)ばっかり見ています。

 出来ることといえば、まだ上のようなものですが、次の1週間では、そろそろ工作関係の仕事ができるよう、少しずつそんなこともやってみるつもりです。
 (下の映像と本文は関係ありません)

「腰が痛ーい!」

 腰が痛くて痛くて、居ても立っても居られない。
 しょーがないので、先週近所の脊椎専門病院で腰の骨の手術を受けた。
 ぼくの場合は「椎間板ヘルニア」と「脊椎間狭窄症」の両方を同時に患っているらしく、且つ全体的に骨格(骨の形状)が悪いので、2017年に東大病院で手術を断られ、2021年の春、やっと品川の脊椎専門病院で一回目の手術を受けることができた。それから3年。これといった改善の効果が見られなかったので、仕方なく先月の29日、今度は田端の脊椎専門病院で再手術を受けることに。
 脊椎と脊椎のあいだにチタンの金属プレートを差し込んでそれらをボルトで止めるという荒治療で、オペに5時間を要した。
 もちろん全身麻酔だが、オペ終了後ただちに麻酔が切れる。
 ストレッチャーでわたしのからだがオペ室から自分の病室まで運ばれ、ドサっとベットに投げ出された瞬間
「ギャーッッ!」
 気狂いのように叫んだ。
 あんなに痛かったのは生まれて初めてのことでした。

貧乏性の自分の場合はひとり部屋だと広すぎて落ち着かず、今回はふたり部屋にしてみた。

「Thank you Ms.イッシキ!」

 「東家(あづまや)」(1/12)を見本にして制作する「東家教室」が3月に終了した。講師としてわたしもひとつ作っていたので、終了後、東家が1点ふえた。そこでふるいほうの東家をフェリーで北海道へ運び、滝川のスギちゃんに預けた。と、ここまでは、以前ここに書いた。
 そのあと作品(東家)は、現地滝川の美術自然史館で開かれた「のぞいてみよう!模型の世界」というイベント展の会場に、6/29日から8/25日までのあいだ展示されていた。
 その最終日の25日、ノエカフェの、イッシキ・ミヨコオーナーが、はるばる東京から陸路ワンボックスワゴンをころがして滝川に現れ「東家」を回収し、車に積んで帰った。(と、スギちゃんから知らされた)。
 Ms.イッシキは、わたしの教室の渋谷時代からの生徒であると同時にドールハウスミュージアム「ノエカフェ」のオーナーであり、且つ稀代のドールハウスコレクターだ。しかも彼女は「東家教室」のメンバーでもあったので、教室の終了後2点にふえちゃった東家のふるいほうを買わないかと尋ねた。
 すると
「買う!」
 という。
「実は、作品はいま北海道なんだけど、自分で回収してくれますか‥?」
 恐る恐る尋ねると
 「はい、自分で取りに行きます!」
 と、こころよく応じてくれたのだった。
 ——–そういうわけで、すでに作品(東家)は東京に到着しているはずなので、たぶん数日以内に練馬のノエカフェで見られると思います。みなさんも一度ぜひご覧になってください。

左がMs.イッシキさん、右がスギちゃん、車に積んである茶色い箱が「東家」@滝川市美術自然史館前で。この写真はスギちゃんが送ってくれました。

「再募集のこと」

 6月に当欄で、この秋にスタートする予定の「火の見やぐら/制作教室」への参加者を募集いたしましたところ、いまのところ以下6名の方々にお申し出いただいています。(下の方々には開催日が決まり次第ご連絡いたします。もう少しお待ちください。)

 マガラ・ヤストシさん
 オウ・コクさん
 スズキ・カツヤさん
 ナカジマ・ユウさん
 カトウ・ヒトヒコさん
 サトウ・キョウコさん

 *講座内容は以下です。
 制作課題: 「火の見やぐら&手押し式消防ポンプ」(1/80)
 開催場所: はがいちようの駒込スタジオ
 住所: 東京都北区中里3-23-22
 開催日: 原則月一回土日祭日の午後
   (初回講座終了後に次の開催日を決めます)
 参加料: 一回11,000円(材料費別)

 本作は80分の1スケールにおける「日本の情景シリーズ」に欠かせないアイテムとして、むかしから何回も教室で取り上げてまいりました。ところが最近の教室ではドールハウス的作品が人気で、日本的なものはめっきりやらなくなってしまいました。そんなわけで、もしかするとこれが最後の火の見やぐらになるかもしれません。
 ——-まだ席に若干の余裕がありますので、参加希望者は、はがまでメール(ichiyoh@jcom.zaq.ne.jp)をください。質問等も受け付けています。

 少々しむずかしい課題ですが、守備よくこれを完成させることが出来れば、半田(ハンダ)の技術がバッチリ身に付きます。

「暑中見舞い」

 いやあとにかく暑い。
 それしか言いようのない日々がつづいている。
 毎年この時期には、ほんの数枚ではあるが暑中見舞いのハガキを出している。年賀状とは違い、去年出したから今年も出さなきゃマズいとか、そういうことは一切考えず、いたっていい加減なチョイスで投函している。7月から8月、立秋を過ぎた9月にも、今度は残暑見舞いとして出すこともある。
 これを読んでいる方ならば多分ご存知であろう渋谷クラフト倶楽部の佐野匡司郎氏と白石和良さんから、その返事が届いた。
 佐野氏からのハガキには、非常に苦しい体調面での近況がとつとつ述べられ、ご子息に支えられながらのご自宅での日常が目に浮かぶような内容だった。
 白石さんからは、なんと便箋5枚に、独特の白石文字で、びっしりと、こと細かにリハビリの様子が書き連ねられ、ひさしぶりの〝白石節〟に圧倒された。
 佐野さんは御年88歳になるはずで、いまは腰椎圧迫骨折に苦しんでいる。
 白石さんは67歳ながら数年前に脳溢血を患い、いまは半身が不自由な身だ。そんなお二人もこの暑さに耐えながら必死に生きている。そのご様子が文面からヒシヒシと伝わってきた。
 かく言うこのわたしも、今月の末に、ちょっとしたヤバイことがあるので、ご両人からの便りがとりわけこころに刺さった。

アートと言ってよいレベルの白石さんからのお便り。わざと遠くに置いて、できるだけ読めないように撮りました。
 

「トーキングヘッズ叢書」

「トーキングヘッズ叢書」という雑誌(季刊誌)で、もう10年以上にわたって「立体画家・はがいちようの世界」という連載コーナーを担当している。今号で連載45回目になる。そのトーキングヘッズ誌の最新号、第99号「イノセント・サバイバー〜迷える子の生きる道」が、本日(8月8日)発売になりました。
———「最新号のテーマは、迷える子(ストレイ・シープ)。「迷える子」は先の見えない時代、過酷な環境をどのように生き抜こうとしているのか——小説、映画、漫画などを紐解きながら、さまざまな観点から解題を試みました。また特集以外でも、レビュー・エッセイなども豊富に掲載しています。ご高覧いただき、ぜひ諸媒体・SNS等でご紹介いただけると幸いです」
 ——–だそうです。

 もちろんアマゾンでも買えます。
 編集=発行=アトリエサード/発売=書苑新社
 A5版/全192ページ/本体1500円+税

 わたしは今号で「晩秋の情景」という作品を紹介したが、(下段の写真)、わたしのページはほんの刺身のツマに過ぎず、あとはガツンと文字がいっぱい詰まった優良記事のオンパレード。「イノセントじゃいられない ! 子どもたちの地獄めぐり—-『少女ムシェット』『誰も知らない』『異端の島』ほか…」にはじまり、「真夜中の紅茶と眠らない夜」や「〝永遠の少年〟澁澤龍彦の根底にあった詩学」等々、どれも熱の入った記事ばかりで、読み応え十分だ。
 本好きのみなさん、ぜひお求めください。

本作は2012年、カタール在住のあるコレクター氏がご購入されたが、木が非常にデリケートであるため宅急便で送ることができず、わざわざ手持ちで、ドーハまでお届けに上がった。

「メキシコとの壁 ?」

 拙作「昭和初期の真岡駅」(1/80)が「消えちゃった!」という趣旨の記事を前回ここに掲載(7/19付)したところ、約2名の読者から「いや、そんなことありませんよ‥」というメールを頂戴した。
 まずは元生徒・穴熊@安達さんからいただいたメールを、当人に無断でm(__)m下に掲載する。
 「SLキューロク館と同じ側ですが、駅の建物の中の、改札口の向かい側に展示されています。こちら側は真岡鐡道の本社ビルを兼ねているので、駅というより、真岡鐵道の本社ビルに展示されている、という感じです。添付した画像は、昨日(2024年7月26日)再訪して撮影したものです。真岡駅の作品を拝見するのは、昨日で4回目ですが、やはり素敵です。今、思い返してみたのですが、最初は駅の反対側(キューロク館側ではない方)の展示だったのですね。穴熊@安達 拝」
 —–以上、原文のまま。
 注①: SLキューロクとは蒸気機関車の9600型のことです。
 注②: キューロク館は駅の東口側にあります。
 穴熊さんありがとうございます。
 わたしの記事を読んだ一週間後にわざわざ見に行ってくれたのですね。感動いたしました。いただいたメールで詳しい展示場所がわかりましたので、こんど行ってみます。

 1996年当時、真岡市の市長は菊池恒三郎という人だった。
 菊池氏は市長であると同時に(株)真岡鐵道の社長でもあり、当時ディーゼル車しか運行されていなかった真岡鐵道真岡線に、はじめてSLを走らせ、観光の目玉としたのも菊池氏だった。
 わたしはその菊池氏から直接依頼され、真岡市役所の企画課が窓口となって、1997年の春、あの模型展示物の制作をスタートした。このとき市とのあいだにはさまざまな取り決めがあった。展示場所は駅東口コンコースの真ん中であること、展示台の高さは床から何センチであること、ショーケースの天井には6本(8本だったかな ?)のスポットライトを設けること、等々、他にもいろいろあった。そして同年秋に完成した暁には市がちょっとした完成披露のパーティーを催してくれた。
 数年後、菊池氏が落選し、状況が一変。後任の市長は前任者の政策を否定することからはじめるので、わたしの作品は隅っこに追いやられ、次第にどこえ行ったのかさえわからなくなった。トランプが作ったメキシコとの壁が、バイデン氏によって壊されたのとおんなじですね。

穴熊さんの他にもうひとり、現役生徒の王さんからも、非常にわかりやすい上の写真と共に、やはり「置いてありますよ」という趣旨のメールをいただいた。写真左側の黄色い円の中に置いてあるのが拙作「昭和初期の真岡駅」です。